麗江に27年間の研究をした

J.F.ロック
 

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今から溯る事およそ80年前、一人のアメリカ国籍のオーストリア・ウィーン生まれの植物学者が植物標本の採集のため麗江にやって来た。その名はJoseph Francis Rock。 

ロックはアメリカ農業部からの派遣で、雲南省西北部からビルマにかけての辺境地域の植物標本を採集する任務のために、1922年、はじめて麗江へやって来た。その任務が完了した後も彼はこの植物王国である麗江に残った。植物学者の彼にとってここは天国だった。そしてひょんなきっかけから出会ったトンパが彼の人生を変えることになる。植物学にとどまらず、文化人類学、民族文化、地理などの研究、考察にも没頭し出した。

ロックは玉龍雪山の麓の雪嵩村(現在の玉湖村)に、その村で暮らしているナシ族たちと同じ伝統的な住居を借りて、そこを拠点にし、地元のナシ族たちの助手を何人か引き連れての探検が始まる。馬のキャラバン隊を率いて何日も何日も。彼の探検は雲南省麗江、永寧、四川省木里、独龍江、チベットなどの広範囲に及んだ。そこで膨大な植物標本、民族学的な資料を集め、写真を撮り、研究考察の後、世界へと発信した。

彼の文章と写真によって、世界にこの地の文化、風光が紹介されることとなった。植物学界はもとより、彼が没頭して研究したトンパ経、トンパ文字はとりわけ人々の間にセンセーションを巻き起こした。世界はロックによってトンパを発見したと言ってもいいだろう。

ロックの麗江での生活は出たり入ったりを繰り返しながらも27年間続いた。その間に幾度も探検をし、雪嵩村の自分の”家”に帰って来ては研究に没頭した。 ナシ族を中心とした民族、自然、地理を明瞭な見解で述べた『中国西南古ナシ王国』、膨大な数のトンパ教本を収集し研究し翻訳した、『ナシ語−英語百科全書』が彼の集大成である。

ロック 麗江時代 年表

1922年 初めて麗江に
1923年 金沙江(長江)、瀾滄江(メコン川)、怒江の三江流域地域
1924年 四川省・木里からルーグーフー→麗江→アメリカ→昆明
1925年 四川省・成都から甘粛省、青海省
1926年 甘粛省
1927年 甘粛省→成都→重慶→上海→香港→昆明→アメリカ→昆明
1928年 昆明→四川省→麗江
1929年 四川省
1930年 麗江→アメリカ→ハワイ→昆明
1931年 昆明→麗江→白水台、哈巴雪山→ルーグーフー
1932年 永寧→麗江→昆明→上海→北京→香港→昆明
1933年 昆明でトンパ経本の翻訳→ヨーロッパ
1934年 ウィーン→パリ→ロンドン→ニューヨーク→昆明
1936年 昆明からチャーター機で麗江、長江上空飛行→北京→南京→成都→昆明
1937年 ハノイ→サイゴン→北京→上海→昆明(日中戦争勃発、それから逃れるため)
1938年 昆明→ハノイ→バンコク→ベルリン→昆明→ハワイ→ベトナム(日本が東南アジアを侵略、ベトナムへ避難)
1939年 ベトナムでナシ文化研究に専念
1940年 ベトナム→マニラ→ハワイ→昆明→麗江(太平洋戦争勃発)
1942年 戦禍から逃れるためルーグーフーへ
1944年 インド経由ワシントンへ アメリカ国防省地図署顧問
1946年 麗江で再びトンパ経本の収集、整理、研究
1947年 「中国西南古ナシ王国」出版
1948年 麗江→ヨーロッパ→アメリカ 病気治療
1949年 新中国成立、共産党政権に。8月、麗江を離れこれが最後となる